私は、これまで13年と9カ月、自費出版を主に扱う版元で企画営業と編集をしてきました。「紙の自費出版」に頭のてっぺんから足の先まで、ズブズブに浸かってきたわけです。
今、「新しい自費出版」に携わるようになり、「紙の自費出版」時代の常識がガタダガと音を立てて崩れています。
例えば、本の仕様。
著者に提案する際、「本の大きさは四六判、ページ数は200ページ程度が一般的です。初版部数を4,000部とすると、予算は……」なんて話を死ぬほどしてきました。
判型は紙の大きさと取り都合の関係で決まるのかもしれない。
ただ総ページ数の200ページって、誰が決めたんでしょう?
束がないと棚ざしの時に目立たないので、予算の関係でページ数を増やせない時は、紙の斤量を上げて無理やり束を出していました(やり過ぎて、「バリバリー!」と本を広げる時に苦労することもあった)。
ゴースライターにも、まず総ページありきで発注。著者にコンテンツが不足している時は、どうでもいい総論やコラム、体験談で、よくページを稼いでいました(あと、章トビラの対抗ページは必ず白とかね)。
しかし、電子出版が一般的になれば、こんなことはどうでもよくなります。キンドルやiPadに「束」なんて概念はないですからね(機器の大きさが束だったりして)。
つまり、200ページなくても本になる。私が以前勤めていた会社では、束のない本を小冊子(書店流通できない)と呼んで蔑んでいましたが、これからはその常識は通用しなくなります。200ページに薄めなくても、30ページ~40ページに内容を濃縮して出版することができる。更に、そういったものを先にいくつか出版して、200ページぐらいたまったら、再度、アンソロジーとして出版することも可能なわけです。
オレンジジュースも砂糖や添加物で薄めたものより、量は少なくても果汁100%の方が美味しいですよね(これは好みか? 少なくとも体にはいい)。
紙という物理的な制約から生まれた本のパッケージは、意味をなさなくなる。
先日、社内の会議でこのことが話題になり、「紙の自費出版」時代に常識としてやっていたことを思い出しました。
このテーマ、もう少し続きます。
